「目黒」「目白」名前の秘密を探る 紛らわしい駅名「目黒」「目白」 目黒 目白

紛らわしい駅名「目黒」「目白」


目黒」「目白」の駅名にどんなつながりがあるのだろう。山手線に乗りながら、いつも考えていたことだ。
目黒目白と紛らわしい名前のせいで、私は目白に行こうとしてよく目黒に辿り着いたものである。

目黒不動は有名だから、調べなくてもすぐにピンとくる人もいるかもしれない。単純に考えると、目黒不動があるから「目黒」。きっと目白不動があるから「目白」なんだろうと予想がつく。(空襲でお堂は焼失し、現在目白不動は豊島区金乗院に移転)
ところで、黒と白があって、他の色はないだろうかと疑問に思うかもしれない。私もそんな疑問を持った一人だ。

実は目黒目白の他に、目赤不動も目黄不動も目青不動も存在しており、五色の不動明王は総称して「江戸五色不動」と呼ばれている。
しかし「江戸五色不動」に関する由来は今なお謎だらけだ。

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目黒・目白・目赤・目青・目黄?

目黒不動の由来
五色不動の中では、目黒不動が一番古い。
目黒という地名は、目黒不動から「目黒」が地名となった説、馬のあぜ道を表す目畔(めぐろ)という言葉から「目黒」となった地名由来説があり、後者が有力説とされている。

目白不動の由来
目白については、江戸時代後期に白い尾の名馬が出たことから「目白」という地名になったという説がある。
地名の目白から「目白不動」と呼ばれたとする説と、将軍家光が目黒不動があるから「目白不動」と称するように命じたとする説がある。

○目赤不動の由来
文京区本駒込にある天台宗の寺院「南谷寺」には、不動堂に目赤不動明王が安置されている。
南谷寺は元和2年(1616)の頃、比叡山南谷の万行律師が開山したお寺で、目赤不動の由来が伝わっている。

万行和尚は夢のお告げによって伊賀の国の赤目山へ赴き、黄金の小さな不動明王像を授けられた。その後比叡山南谷の庵室に安置。黄土衆生の志願を起こし、ご本尊を護持しながら関東へ向かい、駒込の地にお堂を建て、目赤不動を安置したという。
その頃は赤目不動と称されており、寛永年間(1624~44)第三代将軍徳川家光より五色不動の因縁から、名称を赤目不動から目赤不動に改めるように命じられたと伝わっている。

つまり、もともとあった不動明王を「目赤不動」と改名したのだ。
ところで、目黄不動、目青不動はどうなったのであろうか。
残念ながら、江戸時代の文献や地図には三不動として目黒不動・目白不動・目赤不動の記載はあるが、五色不動についての記載は見つかっていない。

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五色不動の深まる謎

「江戸五色不動」を計画したのは、天台宗の天海であるという説がある。
密教では五色、すなわち地・水・火・風・空はそれぞれ黄・青・赤・白・黒を表しており、天海が五色不動によって、密教で江戸に結界を張るという壮大な都市計画を進めていたという、非常に興味深い説だ。
現在は天海が五色不動に関わった記録はなく、江戸時代の文献や地図に「五色不動」の名が見られないこと、また目黄不動、目青不動は明治になってから新設されたと記録に残っていることなどから、天海の密教説は否定されつつある。

ともあれ、ミステリアスな伝説を生み出してきた「江戸五色不動」。もしかしたら、現在の五色不動以外に消滅してしまった古い目黄不動、目青不動があったのかもしれない。「五色不動」という名では称されず、巷にも知られず、密かに五色の不動明王を江戸の町に配置していた可能性もないわけではない。
そう考えてみると、江戸の町が急にミステリアスな空間のように感じられる。

天海は徳川家康・秀忠・家光と三代にわたって背後で重大な役割を担っていたことは知られているが、実際にどんな役割を演じていたのか謎の多い人物だ。
将軍家光が鷹狩りの名目で寺に立ち寄り、わざわざ不動明王の名を改名していくのも怪しい。五色の不動明王を設置することくらい、将軍の力でできたはずなのだ。
もしかしたら、秘密の計画だったのかもしれない。

ぜひ山手線で「目黒」「目白」の駅名を目にしたら、ミステリアスな伝説に彩られた五色不動のことを思い出してほしい。



※江戸五色不動の場所(目黄不動は諸説あり2ヶ所が指定されている)

赤 天台宗 南谷寺 文京区本駒込一丁目
黒 天台宗 瀧泉寺 目黒区下目黒三丁目
青 天台宗 教学院 世田谷区太子堂四丁目
黄 天台宗 永久寺 台東区三ノ輪二丁目
黄 天台宗 最勝寺 江戸川区平井一丁目
白 真言宗 金乗院 豊島区高田二丁目

「目黒」「目白」名前の秘密を探る

目黒 目白

「目黒」「目白」山手線に乗りながら~余談

目白」へ向かうはずが「目黒」に辿り着いた私は、その後、そのまま山手線を乗り続けて無事「目白」に辿り着いたのである。
ネタではなく、私が実際に目白にある切手博物館に行こうとして、スマートフォンで地図を検索してみると、どうも周囲の道の様子が地図と違う。不審に思い再検索したところ、「目白」と「目黒」を見間違えていたことに気がついたのだ。
山手線の良いところは、間違えて逆方面の電車に乗り込んでも、いつかは目的の駅に着くところ。
しかしそれはあくまで時間に余裕がある時の話。
目黒目白を勘違いする人は少ないかもしれないが、もし目黒目白で待ち合わせ等をする方には、私と同じようなことにならないように気をつけてほしい。

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