日本人にとって死はタブー? 『古事記』にみる日本人の死に対する恐怖 死 タブー

『古事記』にみる日本人の死に対する恐怖

現在も親しまれている『古事記』には、私たち日本人の抱く生観を形作っている大きなヒントが多く語られています。信じられないストーリーと古来の神々が登場するこの『古事記』には、人間がなぜ生まれ、そしてんでいくのか、その生命の根本的な疑問について興味深い解釈を読み取ることができます。

○『古事記』にみる日本人のに対する恐怖

「黄泉の国」の様子を描いたイザナキノミコト、イザナミノミコトの物語はあまりにも有名です。愛しい妻であるイザナミノミコトが亡くなり、イザナキノミコトが彼女の後を追ってたどり着いた場所は黄泉の国でした。
暗闇の中でイザナミノミコトは、黄泉の国の食べ物をすでに食べてしまった自分の姿を見ないでほしいと夫に頼みます。しかし夫はもうすぐ愛しい妻に会えることを待ちきれずに、ついに者となった彼女の姿を振り返って見てしまうのです。

蛆の這いまわるその体(イザナミノミコト)は、「私によくも恥をかかせた」と、イザナキノミコトに黄泉の国の醜女(シコメ)を追わせることになります。やがて黄泉の国から抜け出したイザナキノミコトは、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)という黄泉の国と現世の境をなす断崖へ辿り着きます。後ろを振り返ると、妻イザナミノミコトが追ってくるのが見えました。
そこで、イザナキノミコトは巨大な千引の石(チビキノイワ)を引き据え、イザナミノミコトがこれ以上自分を追うことを阻止します。

黄泉の国で妻イザナミノミコトは1日に千人絞め殺すと誓い、現世で夫イザナキノミコトは1日に千五百の産屋を建てることを誓います。こうして愛し合っていた夫婦は黄泉の国と現世で、別離することとなったのです。

「我(あ)をな視(み)たまひそ」(私を見ないでください)というタブーを犯す場面は、かつて肉親を葬った後に近親者が屍を見に行く風習があったとされます。これは者が本当にんだことを確認する作業だったのかもしれません。この物語には、体を「恐ろしいもの」として描き出しています。どんなに美しく、また愛しい人も、体は醜く、恐るべき変化を遂げます。
蛆のわいている醜い体は、黄泉の国で黄泉戸喫(ヨモツヘグヒ)(黄泉の国で煮炊きした食べ物を食べる行為)をしたと見なされたのです。

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世界を隔離する 石の存在

『古事記』の中で、もう一つ「天(アマ)の岩屋戸(イワヤド)」の話も有名です。

荒ぶる神である須佐之男命(スサノヲノミコト)が天照大御神(アマテラスオオミカミ)を暴れて脅かし、天の岩屋の戸を開いて中にこもってしまいました。神々の国である高天原(タカマノハラ)、葦原中国(アシハラナカツクニ)は暗闇になり、邪神たちが騒ぎ出します。他の神々が困って、アマテラスオオミカミを岩戸から誘い出すために、お祭り騒ぎを始めると、楽しそうな笑い声に誘われて、アマテラスオオミカミは岩戸を細めに開け、とうとう岩戸からすっかり姿を現したのでした。

天の岩屋戸は古墳の石室を想起させるといいます。一度石室にこもって再び現れるという物語は、穀神がんで新しく春生命を得るという、神のと復活再生の信仰が深く結びついています。

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生と死の世界

者の恐ろしい世界と、輝かしい再生の物語。イザナミノミコトは恐ろしい黄泉の国に留まったままです。一方では、アマテラスオオミカミは一度隠れたものの、姿を現して再び世界に太陽の光を照らし出します。

再生は神に許された特権であり、人間たちはをもって肉体は醜く変化し、朽ちた肉体は戻ってはきません。農耕が中心であった古い信仰では、肉体は滅びる一方、自然は再生のシンボルだったのです。
黄泉の国は一枚岩で覆われ、その岩は決して動かしてはいけません。者の住む暗黒の黄泉の国は、恐ろしい場所だからです。黄泉の国で黄泉の国の食べた(ヨモツヘグイ)をした者は、黄泉の国での生活が始まります。
こうして、自然界でもっとも固い石で生との世界の境界としたのです。

儀式的に葬ることが行われるまで、体は恐ろしいもの、の世界は近づいてはならないものという意識が強く、それは蛆のわいた体から容易に人々は学ぶことができました。変わり果てた体の姿を見て、異世界(黄泉の国)の食べ物を食べ、自分たちとは違う世界へ行ったのだと知ったのです。

後世になって、仏教が伝来してからも、一般の庶民や地方では屈葬による土葬が一般的でした。ただ、者の手足を縛ったり、石を抱えさせたり、体への恐怖は民族的な感情に深く刻まれていったようです。
戦後、火葬が中心となった日本ですが、近年まで土葬が中心だったことはあまり知られてはいません。日本人はタブー視してきましたから、葬儀やお墓に関して話すことも避ける傾向があります。
しかし、最近では少子化の影響で、葬儀やお墓、遺言など「今のうちに準備をしておこう」という風潮が強くなっています。

将来的にお墓の存続が不安なケースが増え、現在ではお寺に供養をお願いする「永代供養墓」が注目を浴びています。永代供養墓について→http://www.anshinbo.jp/about.html

死とタブーについて

死 タブー

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