梅屋敷由来 徳川家慶も立ち寄った! 梅屋敷の由来 梅屋敷 由来

梅屋敷の由来

梅屋敷とは、大田区にある駅の名前ですが、その由来はあまり知られていないようです。
この古風な名前の由来は何なのか。
梅屋敷とは誰の屋敷なのか。

京浜急行線の梅屋敷駅から徒歩10分ほどの場所に、聖蹟蒲田梅屋敷公園という場所があります。
どうやら、この公園がヒントになりそうです。
調べてみますと、なかなかおもしろい史実が出て来ました。
十二代将軍徳川家慶も、鷹狩りの際に休み処として立ち寄った場所が梅屋敷だというのです。

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梅屋敷を作った人物

江戸時代、薬屋を営んでいた山本忠左衛門という人物がおりました。
この人が「和中散」という食あたりや暑気あたりに効くという特効薬を販売し、東海道を旅する人々は、この道中薬を求めたのです。
どうやら商売は繁盛したらしく、文政年間の初め頃、忠左衛門の息子久三郎が店を譲り受け、現在の梅屋敷公園のある場に数百本もの草木を植え、茶屋を開いて旅人をもてなしたところ、大評判になりました。
この時に梅を多く植えたことから、梅屋敷と呼ばれるようになったのです。
その様子は安藤広重の江戸名所百景にも描かれているほどです。

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現在も立ち寄りたい梅屋敷

徳川家慶が、鷹狩りの際に休み処に梅屋敷を利用したことが有名ですが、幕末には木戸孝允、伊東博文らの著名人が集まって会合を開いたという記録もあります。
特に極秘の会議を行う場所として、この梅屋敷がちょうど良い、隠れ家のような役割を果たしていたようです。
明治6年には天皇がみずからお手植なさった化粧梅もあります。

そんな華々しい歴史のある梅屋敷ですが、現在は縮小されて、面積も小さくなり、わずかに30本ほどの梅の木が残るばかりです。
しかし庭園の様子は面影を残し、資料をもとに復元された「距日本橋三里十八丁 蒲田村 山本屋」と書かれた里程標など、興味深い史跡は見られます。

不思議な由来のある、小さな梅屋敷公園。
実際にそこに行きますと、懐かしいような不思議な安堵感を感じるのです。

梅屋敷の由来について

梅屋敷 由来

梅屋敷 その由来

大田区にある梅屋敷
由来は東海道の休み茶屋。
名前も風流、由来も風流です。

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