歴史スポット 鈴ヶ森刑場跡 歴史スポットをめぐる~八百屋のお七の話~ 歴史 スポット

歴史スポットをめぐる~八百屋のお七の話~

都内の歴史スポット「鈴ヶ森刑場跡」。
今回は、八百屋のお七のお話です。
八百屋のお七は、歴史の中でも悲劇的な人物として知られます。
井原西鶴の『好色五人女』で、八百屋のお七は一躍有名になりました。

火事で自宅を焼け出されたお七が、あるお寺に世話になります。
そこで知り合った若い僧に恋をするも、お七とは身分違い。
お七は、新しい家ができるとお寺を去りますが、若い僧に対する想いは募るばかり。
再び火事になれば逢えるのではと考え、自ら火をつけるのです。
当時、放火は死罪。彼女は十六歳にして、火炙りの刑に処せられました。

火の見櫓で、艶やかな振袖を振るうお七の姿は、大変印象的で劇的な場面として世に知られています。

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歴史スポット 鈴ヶ森刑場とは

歴史スポット「鈴ヶ森刑場跡」は、大田区の大森海岸駅付近にあります。
処刑場ができたのは慶安四年(一六五一)。
「由井正雪の乱」に関わった丸橋忠弥が、処刑者第一号といわれています。

鈴ヶ森刑場跡には、二つの礎石を見ることができます。
一つの礎石の中心には四角いが。
その穴に柱を立て、受刑者は両手を延ばして縛られ、脇の下から槍を左右交差する形で突き刺されます。
丸穴のほうは、火炙りの鉄柱を立てるための礎石。
柱に受刑者を縛り、竹籠のようなものをかぶせ、足元から焚き付けを積んで遠火で焼いたそうです。
火というよりも煙で窒息死させました。
天和二年(一六八二)、その最初の受刑者が八百屋のお七だといわれています。

鈴ヶ森刑場の歴史は古く、処刑は江戸時代から200年ほど続きました。
10万から20万の人が処刑されたそう。
近くには「首洗いの井」という恐ろしいものも。
心霊スポットとしても鈴ヶ森刑場跡は知られていますが、ここで苦しんで亡くなった方々へ、供養の気持ちを忘れずに訪れたいですね。


八百屋のお七が飛んできた!?

八百屋のお七について、不思議な言い伝えが残るスポットが。

鈴ヶ森刑場から少し歩いたところに、真言宗密厳院があります。
密厳院には、お七地蔵が祀られており、お七の三回忌に建てられました。
もともとお七地蔵は鈴ヶ森刑場のそばに建てたのに、一夜にしてここへ飛んできたそうです。
嘘か真か。実に不思議な話です。

歴史スポット 鈴ヶ森刑場跡

歴史 スポット

歴史を感じるスポット「鈴ヶ森刑場跡」

鈴ヶ森刑場跡は小さな区画に残っている歴史スポット
放火はたしかに恐ろしい罪。
しかし、わずか16歳のお七が火刑に処されたとはかわいそうな気がします。
それも恋が理由だと知ればなおさらです。
たくさんの供養塔は、そんな後世の人々の気持ちが込められているのかもしれません。

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